【日本の石けん運動の歴史】政府の対応(4)

前回はちょっと脱線してしまいましたが、前々回の最後に書いたことに戻って、合成洗剤がなぜこんなにも大手を振ってまかり通るようになってしまったのかについて考えましょう。私たちが合成洗剤の害をどんなに訴えても、「厚生省が安全と言っているから、安全なのでしょう」という反発に合うことが多いのです。このことは別のところに書きましたが、厚生省の無責任ぶりの実体は、日本食品衛生協会という団体の存在にあります。この団体は企業と行政の癒着の典型的な例として、糾弾されるべきものです。

この協会(当時は日本食品協会)の常務理事に小谷新太郎という人がいました。この人は1956年8月10日、厚生省の食品衛生課長でもありながら、協会の責任者として「ライポンF」に対して第一号の推奨広告を行いました。その後、同協会は次々に各メーカーの製品に対しても推奨をしていきます。企業にとってこんなに有り難いお墨付きはありませんでした。この推奨広告は「本品は毒性を有せず、有害な不純物を含有しない」と明記し、さらに「業界、国家機関等の権威者が審査委員として厳密な調査を行って決定・・・」と付記してありますが、その調査内容についての報告はされていません。当時、国会で責任者の小谷氏が、この推奨の真否についての中曽根康弘代議士の質問に答弁できなかった事実からもこのインチキは明白です。

厚生省の外郭団体であるこの協会は、その頃厚生省の中にあり、理事には厚生省の関係局長・課長が配されていました。先の推奨広告を行うに当たって企業からの多額の金が流れたと言われました。この件については国会で問題になり、同協会が問題視されてから、厚生省の関係局長・課長は理事を外され、協会は厚生省の外部に移されましたが、いまでも主体は厚生省の古参の役人で構成されています。

この後、順天堂大学の教授になった小谷氏は、1960年日本公衆衛生学会で『ネズミの皮膚に合成洗剤を塗ると死亡する』という発表をしていますが、柳沢文正先生が62年に『合成洗剤は決して無害ではない』と発表すると、63年には東京都の「学校給食」というパンフレットに「合成洗剤を75グラム飲んでも害はない」という論文を発表しています。このために1973年の日本公衆衛生学会で、小谷氏は柳沢先生から、「今この席で合成洗剤75グラムを飲んでみてください」と迫られ、口の中でボソボソ言うだけで頭を抱えてしまう羽目になります。

※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。