【日本の石けん運動の歴史】政府の対応(2)

前回に書いた「幻のデータ」については、別のグループも入手していて、批判しています。合同出版発行『合成洗剤』小林勇・藤原邦達・三上美樹共著で、詳しい検討をしています。特に第2次の研究で催奇性の問題に関しては、三上氏もメンバーの一人だったので、詳しい反論が述べられています。

このような醸成の中で1965年4月、神田博厚生大臣は、参議院社会労働委員会で阿具根登委員の質問に対して、次のように答えています。

「中性洗剤が有害性である、手が荒れるというようなことについては、これは疑いない事実でございまして、使用などにつきましても、ゴム手袋を使うようにというような注意が出ておるとおりでございます。それが充分に守られるように、あるいは使用方法を厚生省が注意しておらぬということについては、私はこれはもう全くおっしゃるように、手落ちだと思います。・・・・十分ひとつ調査致したいと思っております。・・・・とにかくこの中性洗剤の今後の扱い方は、慎重にしかも大胆にと申しましょうか、急いでひとつ措置致したい。・・・・」

1968年5月、参議院物価対策特別委員会で、木村道雄委員の質問に園田直厚生大臣は次のように答えています。「今事務局から申し上げましたとおりに、調査会等で結論が出て、一応無害ということになっておりますが、私はこれに非常に疑念を持っているわけでありあます。・・・・一応専門家の結論が出、厚生省の責任において許可いたしましても、疑念があった場合はさらに検討することが、私は大事であると考えておりますから、何とか検討する方法を講じろ、このように命じておるところでございます。」

1973年4月、参議院予算委員会で鈴木一弘委員の質問に対して、田中角栄内閣総理大臣は合成洗剤の有害性を認める発言をしており、同じ年の12月、衆議院予算委員会での大原亨委員の質問には、次のように答えています。

「私自身は、これは素人ではございますが、中性洗剤というものは人体に影響があるのではないかという感じをもっておるのでございます。それで、これが2代、3代という場合には、中性洗剤は、食物を通じてとか魚を通じてとか、いろいろな問題で必ず影響があり、こういう考えに立っておるわけであります。」時の総理大臣でも合成洗剤の毒性を認知していたのに、なぜ合成洗剤が大手を振ってまかり通るようになったのかは次回で。

※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。