【日本の石けん運動の歴史】鳥羽市での合成洗剤追放運動(漁業協同組合の場合-1)

1976年12月の鳥羽市定例議会で「合成洗剤追放をすすめるための請願」が全会一致で採択されたのを受けて、市内の神島漁業協同組合は、77年2月の定例総会で合成洗剤追放決議を行いました。

神島は三島由紀夫の小説『潮騒』のモデル(歌島)になった事で有名ですが、当時はこの合成洗剤追放決議で全国的に有名になりました。ニューヨークタイムズまでが取材に来たくらいです。伊勢湾口に浮かぶこの島は、周囲約4km、人口579人(2000年2月末現在)の小さな島で、昔は流罪の島だったのか藤原姓が多かったり、神社に昔の青銅の鏡が宝物としてたくさんあったりします(口の悪いのは海賊していたためだろうと言っています)。

この閉鎖的な環境では、漁業協同組合というのは、全てを取り仕切る絶対的な権限を持っています。漁協が決めた以上は全員従わざるを得ないのです。ただ、実施は私が何回か講習会をして、ほとんど全ての女性に納得してもらってからにしようという話になっていました。ところが一回だけ講習会をして4分の1位しか話を聞いていない時に、NHKの取材が入ることになり、急遽(77年3月12日)全島240世帯(当時)に立ち入り検査を実施して、合成洗剤と名の付くものは歯磨き剤まで、全部没収してしまいました。ある家など快気祝いに用意してあった新品のザブ14箱を没収されました。

そしてその代わりに、あまり質のよくない粉石けん1箱と液体の台所用石けん1瓶を置いてくるという暴挙に出ました。明日から歯磨きはどうするの?との質問には、「塩で磨け」でおしまい。

このことは最初から無理があり、1年後には漁協が再び立ち入り検査を実施した時、ある小学生は作文で「明日漁協の検査があるので、おかあさんは合成洗剤を2階の押入れに隠しました」と暴露したりしました。

殆どの主婦は海女をしており、アワビが減ってきたことや手荒れと合成洗剤との関連は、私の話を聞いた一部の人だけにしか分かって貰えず、「男が勝手に決めたこと」と不満たらたらでした。

ニューヨークタイムズの記者には私も会いましたが、「アメリカであんなことしたら暴動が起きる」と言っていました。あれから20年以上経った今、合成洗剤は神島で大手を振ってまかり通っています。市内に16もある漁協の神島以外については次回で。

※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。