目次
ニコラ・ルブラン(1742~1806)
世界初の合成法発見
産業革命による需要増
18世紀に産業革命が起こり、石鹸やガラスなどの原料としてソーダ灰の需要が激増しました。
その頃まで、フランスはスペインからソーダ灰を輸入していました。しかしスペインの王位継承戦争に破れたことにより、スペインからのソーダ灰供給が止まってしまいました。
海塩から炭酸ソーダを作る
その為、国王ルイ16世とフランス科学アカデミーは海塩から炭酸ソーダを作る方法を公募します(1783年)。10万フランの賞金も掛けられました。
それに成功したのがフランス人化学者のルブランです。フランス王族ルイ・フィリップ2世(オルレアン公)の主治医でもあったルブランはこのようにして炭酸ソーダを合成しました。
ルブラン法による炭酸ソーダの合成
- 硫酸と食塩から硫酸塩を作る。
- 硫酸塩をコークス、石灰石とともに約1000℃で焼いて黒灰を作る。
- 黒灰を水で洗い、その中に溶け出した成分を蒸発濃縮させて炭酸ソーダの結晶を取り出す。
※できあがった炭酸ソーダをさらに石灰乳で処理すると苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)ができる。
操業開始、フランス革命、そして…
オルレアン公の援助を受け、ルブランは1790年に工場を建設して操業を始めます。
しかし、その後フランス革命(1789年~)によってパトロンのオルレアン公は処刑。工場は没収されます。そのうえ賞金の約束まで反故にされてしまいました。
その後ナポレオンによって工場は返還されます。しかし事業を再開させる余力はすでにルブランにはありませんでした。工場返還から数年後に彼は自ら命を絶ちます。
イギリスに導入
ルブランの死後、1814年にイギリスにルブラン法が導入されます。その後各地で工場が建設されてイギリスのソーダ工業は活況を呈します。
大気汚染の原因に
ルブラン法は有害廃棄物を沢山出すという大きな欠点がありました。製造過程の副産物として、あるいは廃棄物から有毒ガスが発生するのです。
周囲の環境や人々の健康を害したために訴訟も起きました。その後大気汚染防止のための規制がイギリス議会で可決されています。
ともあれ、一世紀ほどはルブラン法によるソーダ工業はイギリスにおいて大いに発展することになりました。
エルネスト・ソルベー(アーネスト・ソルベー)(1838~1922)
完成度の高い技術と商才で大富豪に
アンモニアからアルカリを作る
19世紀になると、製鉄業が盛んになります。鉄を作るための燃料「コークス」は石炭を蒸し焼きにして作るのですが、そのときにアンモニアが副産物としてできます。
そのアンモニアで食塩を分解して炭酸ソーダが作れないかと考え、成功したのがソルベーです。
ソルベー法(アンモニアソーダ法)による炭酸ソーダの合成
- 食塩水にアンモニアと炭酸ガスを通す。
- 1の作業によって水中に炭酸水素ナトリウム(重曹)が沈殿する。
- 炭酸水素ナトリウムを加熱すると炭酸ソーダができる。
※できあがった炭酸ソーダにさらに石灰乳を加えて加熱すると苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)ができる。
低エネルギーで高純度の製法
1861年、ソルベーはこの方法の特許を取りました。ソルベー法はルブラン法に比べて低温で作業するため燃料が少なくて済みます。しかも製品の純度は高いという画期的な方法でした。
以後、20世紀にかけて工業がより大規模化するにしたがってソルベー法はルブラン法を圧倒してゆきます。
ソルベー・シンジケート
ソルベーは優れた化学者であると同時に商才にも長けていました。
イギリスのブラナモンド社と手を組んで「ソルベー・シンジケート」と呼ばれる国際カルテルを組織。世界中のアンモニアソーダ工業を独占して巨万の富を得ました。