炭酸ソーダの大量生産法を発見した偉大な化学者2人。しかしその末路はあまりにも対照...
炭酸ソーダの大量生産法を発見した偉大な化学者2人。しかしその末路はあまりにも対照的でした。
18世紀ごろまで、フランスはスペインから炭酸ソーダを輸入して石鹸を作っていましたが、スペインで王位継承戦争が起こると輸入が止まってしまいました。そこで当時の国王ルイ16世とフランス科学アカデミーは海塩から炭酸ソーダを作る方法を10万フランの賞金を掛けて募りました。
それに成功したのがフランス人化学者のルブラン。フランス王族ルイ・フィリップ2世(オルレアン公)の主治医でもあったルブランはこのようにして炭酸ソーダを合成しました。
ルブラン法による炭酸ソーダの合成
- 硫酸と食塩から硫酸塩を作る
- 硫酸塩をコークス、石灰石とともに約1000℃で焼いて黒灰を作る
- 黒灰を水で洗い、その中に溶け出した成分を蒸発濃縮させて炭酸ソーダの結晶を取り出す
できあがった炭酸ソーダをさらに石灰乳で処理すると、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)ができる
オルレアン公の援助を受け、ルブランは1790年に工場を建設して操業を始めます。しかし、その後フランス革命(1789年~)によってパトロンのオルレアン公は処刑。工場は没収され、そのうえ賞金の約束まで反故にされてしまいました。その後ナポレオンによって工場は返還されたものの事業を再開させる余力はすでにルブランにはなく、工場返還から数年後に彼は自ら命を絶ちます。
ルブランの死後、1814年にイギリスにルブラン法が導入されます。その後各地で工場が建設されてイギリスのソーダ工業は活況を呈しますが、ルブラン法は有害廃棄物を沢山出すという大きな欠点がありました。製造過程の副産物として、あるいは廃棄物から有毒ガスが発生するのです。周囲の環境や人々の健康を害したために訴訟が起き、大気汚染防止のための規制がイギリス議会で可決されています。ともあれ、一世紀ほどはルブラン法によるソーダ工業はイギリスにおいて大いに発展することになりました。
19世紀になると、製鉄業が盛んになります。鉄を作るための燃料「コークス」は石炭を蒸し焼きにして作るのですが、そのときにアンモニアが副産物としてできます。そのアンモニアで食塩を分解して炭酸ソーダが作れないかと考え、それに成功したのがソルベーです。
ソルベー法(アンモニアソーダ法)による炭酸ソーダの合成
- 食塩水にアンモニアと炭酸ガスを通す
- 1の作業によって水中に炭酸水素ナトリウム(重曹)が沈殿する
- 炭酸水素ナトリウムを加熱すると炭酸ソーダができる
できあがった炭酸ソーダにさらに石灰乳を加えて加熱すると、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)ができる
1861年、ソルベーはこの方法の特許を取りました。ソルベー法はルブラン法に比べて低温で作業するため燃料が少なくて済み、しかも製品の純度は高いという画期的な方法でした。以後、20世紀にかけて工業がより大規模化するにしたがってソルベー法はルブラン法を圧倒してゆきます。
ソルベーは商才にも長けていたため、イギリスのブラナモンド社と手を組んで「ソルベー・シンジケート」と呼ばれる国際カルテルを組織し、世界中のアンモニアソーダ工業を独占して巨万の富を得ました。
参考サイト
2009年11月11日