【日本の石けん運動の歴史】鳥羽市での合成洗剤追放運動(行政の対応-2)

鳥羽市としては、市議会全員一致で合成洗剤追放の請願を採択してしまったので、始めの頃は一応色々やっていました。もっとも実際に中心になってやったのは、担当違いの私でした。前に書いたように、担当の女性職員が何かにつけて相談に来ました。そのころは水産研究所長と水産課長を兼任していて、大体市役所に出勤していましたから、相談もされやすかったのです。

その私も部外者の下村薫さん(現石川貞二夫人)によく相談にのってもらいました。何と言っても、合成洗剤のこと、石けんのことは薫さんの方が大先輩でしたから、鳥羽市の合成洗剤追放運動に彼女が果たした功績は大です。

市が合成洗剤追放のポスターを作るときも、薫さんが随分手伝ってくれました。市の施設、例えば16ある保育所の給食用食器洗いを、合成洗剤から石けんに切り替える時に、各保育所を回って実際に食器洗いを手伝いながら、合成洗剤の害を説いて納得してもらうことなどは、市の担当者より彼女の方が熱心でした。あれから25年程経ちますが、今でも鳥羽市の保育所では16の保育所全部が石けんを使っています。その頃から変わらず、洗濯用の粉石けんをシンクに溶かして使ったり、洗濯用の固形石けんを補助的に使っています。給食調理人さん達は手が楽だと喜んでいます。

学校給食センターは洗浄機が入っていたので、少し厄介でした。ここも薫さんと私が何回か顔を出して、結局洗浄機には洗浄剤を入れないで、石けんで洗った器を濯ぐためだけに、洗浄機を使うようにしてもらいました。

採択された請願にあった、旅館・観光施設での合成洗剤の使用を止めさせるとか、市内の洗剤販売店に石けんを売るように指導することは、全然やっていません。しょせん行政に期待すること自体が間違いなのだと気が付きました。

国・県・市町村という縦割り構造(国のお方に、県の人、役場の野郎というのが、末端の行政にいる野郎のヒガミ節)の中で、国の方針に逆らうことの難しさは、ハチャメチャ課長と言われた私にも、いささか苦しいことでした。担当外のことだったからできたこともありましたし、休暇を取って公務以外ということでやっていたから、まだいろいろできたのでしょう。

※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。