【日本の石けん運動の歴史】鳥羽市での合成洗剤追放運動(漁業協同組合の場合-2)

鳥羽市漁協連絡協議会は請願者の一員でもあったので、神島程でなくても各漁協それぞれの対応はしました。1980年前後には熱心な組合長も多く、漁協での講習会や勉強会が、頻繁に行われました。

鳥羽市内に国崎(くざき)漁協というアワビで有名だった組合があります。過去形で言わなくてはならないのが残念ですが、アワビの漁場管理では世界的に有名で、外国の学者も訪れるほどでした。数百年も昔から、伊勢神宮にアワビを奉納していたため、アワビを大事にしていて、毎年1万貫(37.5トン)採ると、後どんなに残っていてもその年はもうおしまいにしていました。目の前の漁港の防波堤に大きなアワビがついても、子どもでも採りません。それくらい大事にしていたアワビが、1970年頃からどんどん減ってきました。1990年頃には5トン位、現在では1トンもどうかというまでに減ってしまいました。

1980年に10トンにまで減ってしまったアワビのために、当時の組合長は全世帯107戸に、洗濯用粉石けん・台所用液体石けん・石けんシャンプー・浴用石けん・石けん歯磨きの1組4400円分のセットを無料配付し、本格的に合成洗剤追放運動に乗り出しました。私も何回か勉強会に呼ばれて、国崎ではほぼ全世帯が石けんを受け入れたものと思われました。独断と偏見、我田引水と言われるのを覚悟で言えば、翌81年にアワビは15トンに増え、数年はこの位の漁獲が続きました。しかし残念ながら長くは続きませんでした。貰い物・テレビの宣伝などなどで、次第に合成洗剤が復活してきて、現在国崎で石けんを使っている家は数軒になってしまい、アワビは前述の通りの1トン採りかねている有様です。

他の漁協でも1980年頃までは、熱心な組合長がいて頑張ってくれていましたが、幹部が交替する度に無関心な人が増えて来て、国崎と同じ道をたどっています。物知り顔に、石けんがすたれていくのは、合成洗剤が石けんより優れているからだという人もいますが、漁協の場合は、全国漁業協同組合連合会の薦めていた石けんの質が悪かったことが最大の原因でした。最初に悪い石けんに接して、石けんはだめだと思い込ませてしまったのです。今は前よりよくなっていますが、もう後の祭りです。本当に良い石けんと駄目な石けんの差はとても大きいのです。石けんならなんでもいいと言う訳ではないのです。

※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。