「せっけん運動」について

「20周年記念の集い」で、合成洗剤追放運動は、せっけん使用運動ではないという意見がでました。これは非常に高まいな思想でちょっとわかりにくいところがあります。言いたいことの一つは、本来、合成洗剤がせっけんの代替品であったのだということと、もう一つは、たとえせっけんがなくても、合成洗剤は有害だから使ってはいけないのであって、せっけんを売るために合成洗剤追放運動をするのではいけない・・・・・・ということだろうと思います。

とはいうものの、「アカで人間は死なない」といって、水洗いだけですませる程わりきっている人は別として、やはりせっけんがあるからこそ、合成洗剤追放運動ができることは否定できません。

地道にせっけん運動をすすめてきた人たち(私も含めて)にとって、誤解を生じそうな発言であったため、発言者の意のあるところを代弁しておきます。

もう一つのおおきな問題として、日生協の合成洗剤に対する考え方が批判の対象となり、この点については、会場のほとんど全員が同じ意見のように思われました。売れるから置く、ということが、いつか合成洗剤(AS)をかばう立場になり、さらには推奨しかねない人たちさえあらわれてきたようです。

生活共同組合は、単なる量販店でおわらず(漁協や農協にも同じことが言いたいのですが)本来のロッチデ-ルの理念に基づいて、相互啓発を大切にする努力をしていただきたいものです。

合成洗剤追放運動は、石けん使用運動ではないという考えには、随分反発がありました。今私が思うことは、少なくとも石けん販売運動ではないということです。私自身も石けんの協同購入のお世話をしている事が、合成洗剤追放に役立っていると考えていました。最初からむしろ合成洗剤追放運動は、石けん販売を主体としていた感があります。主として労働組合や主婦のグループが、石けんを売ることで追放運動をしていると、信じていたことは確かです。

しかし考えてみると、このことは合成洗剤追放運動にとってマイナスの面が多かったようです。労働組合や主婦のグループは、あまり利益を追ってはいけないという感があり、そのため出来るだけ利幅を少なくして、安く売ることを考えていました。それに合成洗剤より高くては売れないだろうと、決めてかかっていました。もっと広めたいと思って、洗剤を扱っているお店において貰うよう頼みに行っても、「こんな電気代にもならないようなものは売れない」と断る店が殆どでした。安全で良いものだから高くて当然と、はじめから高い値段を付けて普通の商店で扱って貰っていたら、石けんはもっともっと広まったでしょう。現在、無添加の石けんということで、高いのに売上を伸ばしているシャボン玉石けんの実例を目の前にして、今ごろ気が付いています。生協が合成洗剤を売るようになったのも、石けんより儲かるからと指摘した生協の職員もいます。

もう一つ廃食油石けんを作ることだけで、合成洗剤追放運動をしていると思い込んでいる人達もいますが、そういう人達の中には合成洗剤のシャンプーを平気で使っている人もいます。使えなくなった食油(実際にはまだまだ使えるものが殆ど)をそのまま捨てる位なら、石けんとして使ってから流すほうがまだましなので、決して悪いとは言いませんが、石けんってこんなものかと思われると心外です。本当に良い石けんを知っていて、そのうえで使うのならいいのですが・・・

※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。